について、ドイツの科学者、医学者たちのサイトに書かれている記事を見つけたので、翻訳した。
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動物実験は、私たちが使用する製品の安全性、および病人のために新しい療法を見つけるために推定上必要です。 しかしながら、事実上、それらは人間のために物質の効果と危険を判断するのにおいて適切ではありません。 科学者、政治家、および市民は、現在動物実験が約束していることを果たすことなく、それらの結果が直接人間に適切でない事実をますます認めています。
動物実験は危険
しばしば動物のテストが不可欠であると主張される「完全な有機体」が 推定上、調剤ドラッグの開発のために必要です。 動物はたぶん完全な有機体でしょうが、それらは間違ったものです。 動物と人間は解剖学、生理学、および新陳代謝に関してかなり異なります。当然、 異なった種類の動物は化学物質と調剤ドラッグに全く異なって反応します。 人間が動物の上で行われた実験の結果に基づいて同様にまたは異なって反応するかどうかと予測するのは不可能です。
製薬会社ファイザーによって行われたある研究結果では、1つの発癌性物質の問題に答えるために動物実験に依存するよりはコインを投げたほうがましとのこと。 また、人間にとって有害な物質は実験動物にはその5〜25%しか影響していないことがわかっています。 コインを投げたほうが、より良い結果が得られるということ。
動物実験に基づいて安全であると考えられてきたましたが、人間で重大または致命的とすらなる最悪な副作用を引き起こした多数の調剤ドラッグは、必要とされ信頼されてきた動物実験の結果を人間に応用することができないという紛れもない証拠です。 Lipobay、 Vioxx、 Trasylol、 Acomplia、そして、TGN1412はただ氷山の一角です。 ドイツだけで、最大58 000人の死が薬の副作用の結果であると測定されています。
その一方、それら紛らわしい動物実験に基づいていくつもの有益な調剤ドラッグが早まって廃棄れているのを誰も知りません。現在では非常に有益なアスピリンなどの多くのドラッグ(イブプロフェン、インシュリン、ペニシリンおよびフェノバルビタール)は、以前の動物実験を当てにしていたなら利用できなったでしょう。これらの物質が異なった新陳代謝の過程のため特定の動物に荘重な損害を引き起こすのですから。 有効成分の開発で適用された現代の手順にかけられるなら、それらは完全に失敗したでしょう。
一つの製品のために何万匹もの動物が死ななくてはなりません。 多くの場合、テストされた製品は医学を唱えてさえいません。 これに反して、ドイツでは調剤の薬物の承認の約2 500の新しいアプリケーションが毎年ファイルされ、どれがあるかに関する唯一の革新は2年毎です。 他の何もかもが既に存在しているか、または単に不要です。 例えば会社のバイエル薬品が年配の男性の完全に正常な状態を再定義した、テストステロン欠損症シンドロームとホルモン剤のために、新市場を開拓します。 ドイツの市場では利用可能なドラッグが約60 000あります。 それらの多くが、同じであり、異なった名前の下で売り出されるだけです。 WHOによると、重要とする薬は実際にはたった325個だそうです。
動物実験は新しい療法の開発に何も寄付しません。 製薬品産業は、何かがそれらの製品の1つでも支障をきたしたときにそれらの責任を回避するためだけに行っているのです。
動物実験は悪い科学
ほとんどの人間のかかる病気が動物に起こらないので、それらの兆候は、シミュレートされた使用です; 有機体をモデル化してみてください; 例えば、パーキンソン病を引き起こすために、猿、ラットまたはネズミは脳細胞を破壊する神経毒を注入されます。 遺伝子工学か癌細胞を注入することによってネズミに癌が引き起こされます。 脳のストロークは、ネズミで糸を大脳動脈に挿入することによって、引き起こされます。 ネズミの糖尿病は、すい臓のインスリンを分泌する細胞を破壊する毒素を注入することによって、引き起こされます。 心臓発作は、犬で輪縄で冠動脈を締めつけることによって、シミュレートされます。
事実上、繰り返して動物実験に基づく研究はずっと沿線上失敗しています。 動物試験によって見せられる、有効であって安全なはずの92%の潜在的調剤ドラッグは、臨床試験を通過しません。不十分な有効性または望まれない副作用のため。 承認された8%の物質は、人間にとって荘重で、しばしば致命的とさえなる副作用が明白になるので、後に市場から半分は取り除かれます。
例えば、ネズミ癌の発明は悪性の腫瘍と戦う念願の鍵であると信じられてきました。 80年代の半ばでは、ハーバード大学の研究者は、人間の癌の遺伝子をネズミのゲノムに挿入するのに成功しました。齧歯動物に早期に腫瘍を発生させることに。 この遺伝子改変マウスは1988年米国と1992年のヨーロッパで特許をとられるべき最初の哺乳動物でありました。それ以来、何万匹もの癌のネズミが回復し、しかし齧歯動物で成功したすべての処置は人間で失敗という結果になりました。
動物実験の研究は定期的にすべての種類の疾患に対しブレークスルーを示します。 動物試験は、これかもう片方の治療方法がアルツハイマー病、パーキンソン病、多発性硬化症、癌、アテローム性動脈硬化症などと戦うのに成功していると推定上立証しました。 しかしながら、苦痛な患者の望みはほとんどいつも失望しています。そして、名高い妙薬は二度と聞かれません。 人間はネズミではありません。
科学的な調査はますます動物実験の恩恵に疑いを投げかけています。 彼らは、動物実験の結果がしばしば人間から獲得された洞察に関連するというわけではなくて、また動物実験が人間の臨床応用と無関係であることも立証しています。
イギリスのメタ研究では、関連科学的刊行物に基づく実験動物と患者の上の異なった治療法の結果は比較されてきました。 6つの疾患のうち3つだけが渡された相関関係を調査して、残り半分はしませんでした。
更なる比較研究では、イギリスの調査チームは、動物と人間の両方で行われた研究の結果がかなり異なることを判明しました。 研究によると、動物実験の不正確な結果は、患者を危険にさらし、また、研究基金の浪費にもなります。
ドイツの研究では、バイエルンで承認された動物実験の51のアプリケーションが彼らの臨床実施に関して分析されました。 調査チームは、10年後でさえ1つの単一プロジェクトが人間の薬で論証し実行されていなかったことが判明しました。
動物実験は役に立たないだけでなく、有害でさえあります。 それは存在しない安全性を含意します。そして、それが送る間違った結果は医学の進歩を妨げるだけです。
動物実験は不道徳
また、多数の科学的理由にかかわらず、動物実験を否定する倫理的な理由があります。 毎年、少なくとも1億1500万匹の動物が、化学的で調剤産業のために大学と他の研究所の実験室で死にます。 (動物実験は動物をモデル生物として退化させます。 使い捨ての測定器のように)。 しかし、動物は苦しむことができる敏感な仲間生物です。 動物実験には薬と科学との倫理的正当な互換性がありません。
動物試験のないリサーチ法は良い科学
動物実験を終わらせる場合、医学の研究の終わりという意味ではありません。 これに反して、人間に関する研究に切り替わって、例えば、疫学の部門では、臨床的な研究、職業上の安全、健康、および公衆医学は本当の医学の進歩につながるでしょう。 特別なコンピュータ・プログラムに合成されたヒト細胞と組織を使用して、動物を使用せずに方法をテストすることで正確かつ決定的な結果が得られます。動物実験と対照的に。
精巧なコンピュータモデルは新薬や化学薬品など物質の構造、効果、および毒性などの情報を正確に配信できます。マイクロチップはコンピュータとインビトロ法とを結合させます。 微小なダクトと判事室のシステムでは、マイクロチップはヒト細胞で異なった器官から植民されます。 したがって、個々の器官への実験物質の効果をテストするのは可能です。それがどのように代謝されているか、そして、どんな有害廃棄物製品も形成されるかどうかと同様に。
動物実験がなぜまだ行われているのか?
動物実験に執着するのには、科学的理由を持っていませんが、むしろ伝統が主に基づいています。 150年以上前に、フランス人の生理学者のクロード・ベルナール(1813-1878)は、すべての医学的、そして科学的な洞察の試金石に動物実験を登用しました。 バーナードの主義は分析的に説明できて、測定できて再現可能な結果を受け入れるだけである現代の科学的パラダイムで生き続けました。 この科学体系の枠組みの中では、病気は技術的欠陥になり、そして動物は測定器になります。
したがって、研究者の品質はその人が助けた人々の数によって測定されるのではなく、むしろ科学出版物の量により測定されます。 モットーに忠実に言うと「パブリッシュ・オア・ペリッシュ」、 科学界の有名な科学雑誌のプロフィールを得るためには長い刊行物のリストと、それによる利用可能な研究基金の量によります。 この基金は新しい動物実験に投資されます。(再び、動物実験は新刊書をもたらします)。 このとんでもないシステムは、病人へのどんな利益もないまま自己持続型であり続け、信じられない量の研究基金、第三者基金または奨学金をむさぼり食います。
動物試験がいくつかの領域で続けられている更なる理由は無動物の調査のための資金援助の不足と、インビトロ法の実施への承認手続きが長引いてることからです。
最終的に、動物実験は責任から逃れる手段として製薬工業に役立ちます。 何かがドラッグで支障をきたすなら、メーカーは副作用が起こらずに行われた動物試験を示すことができます。 また、1つが必要とするものを立証するのにそれらを使用できるので、動物実験も製薬工業において非常に人気があります。 望み通りの成果を得るように実験動物と試験が予めセットアップされている可能性も考えられます。
結論
動物実験は残酷であり非倫理的な方法だけでなく非科学的であり、それは現代の21世紀の薬と科学の場所に存在する権利はありません。
- 2009/06/06(土) 18:30:01|
- 動物
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ペットを里親に出すことについて、否定的に考える人がいることがわかった。ペットの立場になって考えると、そりゃあ飼い主とずっと一緒にいたいだろうし飼い主に見捨てられたと思うかもしれないし、飼い主の都合で見放されたのなら、ペットに悪いよね。可哀想だよね。不公平だし無責任かもしれない。途中で飼えなくなるなら最初から飼うな!だよね。そういう視点は充分理解できるよ。
でもさ、もっと本質的なことに注目してみた。
動物だけでなく人間の命だって何とも思ってない人間が世界を(最も大きな権力)を握っているのが現状なんだ。私はそういった大元から取り組んで行かない限り、結果罪のない動植物と人々が大勢犠牲になりつづけているんだ。世界は本当に破滅的だよ。
ペットショップが非道というのは推測ではなくて、事実。もし自分がペットの立場だったら、値段をつけられて売られるなんてまっぴらだよ。売れ残ったらさっさと実験動物にされるか保健所で殺処分される。中には売れ残ったら従業員が責任持って引き取るとか、里親を探すという方針をとってる業者もいるみたいだけど、年間の殺処分数で大体わかる。根拠云々ではなくて、考えればわかること。
簡単に捨てる人間が出てくるのはそういう非道な行為をいかに華やかなベールで覆い隠しながら人々を洗脳しては動物を「可愛いペット」と称して商品を売り続けるペット産業が日本中に蔓延っているから。動物が大好きな人ならそんなこと承知なはず。
私が自己満足だと言ったのも、どんなに愛情注いでどんなに毎日一緒にいてあげてかわいがってあげて、ペットも同じくらい愛情を返してくれたとしても、やはり檻に入れられたり飼い主から餌をもらって一生自由に限りのある生涯を余技なくされる、そんなペットの運命を、ペットが本当に嬉しいと思うだろうか。答えは、動物に聞いてみないとわからない。
だから、他人が自分よりペットへの愛情が薄いと感じるからと、こだわったり責任追求する立場ではないと思う。ペットを人間の住む環境で飼育している以上、立場は同じだから。 それまで大事にしてきた動物を手放して一番悲しむのは人間です。それで動物が悲しむとか喜ぶとか思うのは傲慢な人間の思い上がりだ。捨てるのは罪だけど、手放すのには色々な個人の事情があるものだし、どんな理由であろうと、それを尊重するべきだと思う。まして、そのペットが安全に暮らせる保証があったうえで手放すのなら、罪どころか、責任ある行為ではないだろうか。
自分は誰よりも大切にしているからうちの子はきっと幸せだろう、と思うことこそが自己満足じゃないか?人間と動物は、通じ合うものは必ずあるけど、動物が人間と暮らして本当にそれが動物にとって喜ばしいことなのか、私にはわからない(人間にとってよい、ということだけしか今のところわかりません)。 わかるという人がいたらぜひ教えてください。
私は、自分が動物の世話をしてきた今までの行為もすべて、自己満足のためだったと思っています。それによって多くを学びました。私の人生には自分の成長のために大変多くの動物たちが関わっています。私は彼らに何をしてあげられただろう?動物と人間の決定的な違いは、人間は食物連鎖に加担していないうえ、ゴミを出す不自然な生き物です。そんな人間に生まれた自分が、怪我をしたり捨てられた動物を「かわいそう」だから「救ってあげよう」と思うことこそが、自己を満たす行為以外に何でもないと思う。救われた動物はそこで「助かった、ラッキー」と思っているかもしれないし、「助けてくれてありがとう」とか、本当は何を思って感じているかは、誰にもわからない。そんな感情って人間が感じたり考えたりすることで、動物にも同じ感情があるかどうか、わからない。愛情は確かにあると思う。けど、人間の感じるがままの気持ちを、そのまま動物に当てはめることはできないと思う。そう当てはめてしまったら動物を擬人化することになる。だから、服を着せたり人間と同じことをさせたりという行為がエスカレートする。ある程度までならよいと思うけど、動物の擬人化のしすぎは、無理があるしあまりにも不自然で醜いくらい。
自己満足でなければなんだろう?人間の勝手な行為の結果犠牲になった動物を見て罪悪感と責任感で突き動かされることか。人間であることの罪滅ぼしのような。一人の人間としてできるかぎりのことをやって、それが生きがいにもなっていれば、それこそ、 自己満足以外に何があろうか?それが悪いことなんて言わない。とてもすばらしいことだと思う。
あと、飼い主がペットの命に責任があることは、本当に言うまでもなく当たり前のこと。誰かに言われなくても当然知っているべきことです。それすらも知らずにペットを飼う人がそんなにたくさんいるとしたら、この国は本当に愚かだと思わずにはいられません。個人を責める気はありません。この国に責任があるからです。教育といい、社会といい、なんとかしたいですね。。。だから、変えていくにはまず、個人レベルで人々がいかに同調しているかが大事ではないでしょうか。小さなことで歪みあってる人が本当に多いと思います。
動物が今後人間の被害に合わないようにするには、まずペットの販売を廃止することから始めないと、動物の命に対する人々の意識はなかなか変わらないでしょう。
- 2009/05/01(金) 13:05:12|
- 動物
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中国では毛皮のために現在も犬や猫、その他の動物をひどい環境で養殖しては、生きたまま皮を剥いでいます。その後もすぐに殺してくれるわけでもなく、放置され、苦痛にもがきながら息絶えていきます。自分がそうされていることを、鮮明に想像して見てください。
信じられないけど、それが現実です。
中国政府に抗議のデモも世界中の人がやっています。手紙やメールも送ることができます。
とにかく、毛皮を買うことだけはやめて。絶対に買わないで。買ったら、この残虐行為をサポートしてることになります。
- 2009/04/21(火) 21:33:55|
- 動物
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という教会が新宿区にある。
韓国系キリスト教会なんだけど、ここの信者はみんな純粋なクリスチャンで、キリストを知らない人々へ神様の愛を伝えるべく強い使命感を持って本気で活動している。いつもニコニコ笑顔で、隙あれば教会へ来るように執拗に誘ってくる。ときには嘘もつく。メールアドレスや電話番号も会ってすぐに聞いてくる。
キムチや韓国料理をご馳走してくれたり、作り方を教えてくれたり、それはそれは親切で友好的。もちろん神様の愛を伝えるのが使命なのだから、それは愛に満ちた対応を志しているんでしょう。
でもそこには裏がある。
本当の目的は教会へ誘い込むこと。だからだんだん強引になる。話をすり替えて結果騙してでも教会へ連れてこようとする。笑顔だけは変わらない。薄っぺらい作り笑顔。その仮面の下はどんな悪魔なんだろう。
神様を知らない者は救われない、という信仰心から熱心に神を伝えようとして救いの手を差し伸べているようだけど、それは確実に的外れ。だって誰も救いを求めていないんだから、余計なお世話なんだ。
本当に救いを求めている人のところになぜ行かない?
この教会は日本中に支部がある。金牧師は献金で一体いくら稼いでいるのだ?その金を貧しい国の子供たちに全部寄付しろよ。学校立てろよ。それでこそ神が真に喜ばれる行為に他ならない。
それまではクリスチャンとは認めない。神の名を汚すだけの似非クリスチャンだ。
- 2009/04/01(水) 16:40:12|
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またまた久々日記です。ほとんど一年ぶり?
急に思い出したように書いてます。
この間テレビで紅生姜の天ぷらっていうのをやっていて、商店街のお店の商品なんだけど、一日300個は売れるとかいうほど人気なんだって。
食べたことないし、そんなにおいしいなら。と思ってやってみたよ。
本当においしかった。私が使ったのはうすピンク色の刻んでない紅生姜だったけど、口当たりよくさっぱりしています。かき揚げに混ぜただけだったけど、今度は紅生姜だけでやってみようかな。
あと、ごぼうの天ぷらもいけます。
前にごぼうフライをどこかのイベント会場で食べたとき、すごくおいしかった。スパイシーな味付けがしてあって。あれはなんのスパイスだったのかな。洋風なかんじだった。ケチャップを付けて食べたよ。
この前キムチを、白菜半分使って作ったの。食べきれない!と思うほどだったけど、私一人で1週間で食べてしまいました。その後、近所で買った白菜の塩漬けを買ったんだけど、それもまたおいしいんだけど、キムチの残り汁を入れて、薄いキムチもどきにしてみたら、あ〜これもおいしい。
そしてあいちゃんも、この白菜を食べたいと言ってはポリポリ食べて、もっと!と言ったくらい。あれだけ野菜を食べない子が…。何を食べるのか食べないのか、いつも不思議です。
- 2009/02/28(土) 08:20:14|
- 食べ物
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